誕生日と、新聞脱稿のご褒美をかねて再びの宮古島へ。



梅雨空を抜けて、突然の夏。



目の前を雨が通り過ぎる。虹が後からついてくる。



朝が来た。



友人の犬に勝手に「闇」という名前を付けた。
カメラがいつも闇だと認識するから。

僕と闇は、深夜よく部屋で二人きりになった。
時折闇は膝にもたれながら(もしくは顔を至近距離に寄せながら)
じぃっと僕を見つめてきた。それはあまりに純粋で、従順で、獣で、闇そのもので
そのつど、飲み込まれそうになった。

だから、いくつかの言葉を投げかけた。
「まだ帰ってこないんだよ」とか「今日、風強いね」とか。






日が沈む。
ただそれを眺めていた。

ここにいるとなぜか生きている実感が湧く。
こういう日常を誰かとすごせたら、
それだけで十分だったのかもしれない。

どこにでも日常はある。どこにでも社会はある。
自分はなぜここにいるのかと思う。島に、という意味ではなく。

心からなにかを美しいと感じる事を、
どこかに置いてきてしまったように時折感じる。
一人ならば必要ないと、どこかに置いてきたのだ。

単純で俗っぽいと避けてきたものは皮肉にも身体と社会に直結している。
半分軽蔑視し、半分焦がれていた理由。それでもなりふり構わず、選んできたもの。
少なくても貴方はそれを認めはしないのだろう。

「仕事の人だね」誰かがそう言った。
褒め言葉だったのだろうけど、そう言われた自分にも日常はあったりする。

仕事以外で世界と関わる術を知らない。
誰かといるように取り繕う事はできても、世間のそれとは遥かに違う。
頑になにを護ったのか、それにどれほどの価値があったのか自分にもわからない。
それすらもどういう形で昇華されていくのか、それもわからない。
でもただ気がつけば、
表現は片時も離れず自分のそばにいてくれるようになっていた。
自分にとってものを作る事だけが、人でいられる唯一の術なのかもしれない。

ならばいっそもっと潜ってやろうか。
価値などかき消えるほどに奥深く。

その矛盾を理不尽を抱えて生きている。
多分そういうものなのだ。





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